お知らせ

妊娠して、最初の頃こそ不正出血があったりして安静にしなくてはいけなかったのだけど、その後の妊娠生活は快適そのものでした。

つわりも全くなく、快調そのもの!

体重が増えすぎてしまったこと以外は・・・。

でも、今思うと、とてもお腹が張っていたんですよね。

今思うと、それはこれから起こることの前触れだったのかもしれません。

妊娠8ヶ月まであと2週間というとき、ちょっと疲れたのでこたつで横になろうかなと横になった途端、「ん?」と股間を伝う液体が!

そうです、破水してしまったんです

私はタクシーで病院に行き、その翌日船橋中央病院へ救急車で運ばれることに。

陣痛が起こらないまま、自然分娩が可能になるまでのあと2週間までをただひたすら安静にして過ごすことになりました。

そして、2週間後。

陣痛促進剤を点滴しても子宮口が開かず、緊急帝王切開になり、麻酔が切れて気がついたときにはもう子供はNICU(新生児集中治療室)に運ばれていた後でした。

今でも思うんですが、生まれてきた子どもを見ておきたかったなあ・・。

その次の日。

車椅子に乗って息子に会いに。

でもその子は、今まで私が見た赤ちゃんよりもうんと小さく、弱々しくて、どうしてこうなってしまったんだろうと後悔しても何もできない、無力な自分にただ泣くしかできなかったのでした。

2、3日経って、NICUを見渡してみると、自分の子よりはるかに小さな赤ちゃんがいることに気がつきました。

自分の両手のひらに乗るくらいの小さな小さな赤ちゃん。

出産後、相部屋ではもう妊娠6ヶ月で早産になり、1500gしかない子どもを生んだお母さんや、入院してもう5ヶ月近く入院しているお母さんもいて、なんとなく安心している自分もいました。

 

私自身も2週間近く安静にしていたせいと、帝王切開のためか歩くのも辛く、でも1週間経って私は退院に。

子供は後2週間はNICUに入院することになりました。

鹿児島から母が来てくれてはいたのですが、母の体調がすぐれず、程なくして帰ってしまったため、搾乳機でおっぱいを絞っては車を運転して病院に運ぶ日々を続けていました。

 

そして、2週間後、息子退院の日。

私が不安でしかたなさそうに見えたのか、いつものルーティンだったのかもしれないけれど、Drのかけてくれた言葉が今でも忘れられません。

「お母さん、子供さんがここから退院できるということはお家でも育てられるということです。だから自信を持ってお世話してあげてください」

その時は、母の手も借りれず、10ヶ月にも満たず生まれてきた子を抱えて、これからどうすればいいのかもわからず、夫と二人で育児ができるのかさえ想像できませんでした。

そして、それから10ヶ月後突然起こった激痛!

一年もたたないうちに私は再入院となるのです。

 

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